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病  名 頚椎症性神経根症

手術方法 頚椎前方固定術    顛末記

手術当日 術後6ヶ月 9ヶ月 一年後 一年半後 二年後 三年後 四年後 五年後  六年後  七年後  八年後  九年後 十年後 十一年後 十二年後  実況中継
自動車通勤に管理事務仕事のため、普段はまったく体を使わない生活でしたが、
趣味ではヨット、スキー、キャンプ、スキューバダイビング、
ゴルフ、ジム通いとそれなりに体は動かしてきました。
毎年の人間ドックでもほとんど全部が正常値で、いたって健康体のつもりでいました。
十年以上前にスキーで痛めた右肩がたまに痛むのと、首から肩がこるので
会社近くの整形外科にはたびたびお世話になっていました。
ただ治療といえば湿布、牽引、低周波のみでした。
それが・・・・・・・
[手術まで十四ヶ月]
2002年
2月
2002年 五十歳になって最初の五月、何時もよりひどく右腕肩が痛み始め、
いつもの整形外科で診察を受けたところ「五十肩」と診断されました。
湿布を肩に貼る治療では良くなる訳もなく、夏には握力が低下して来ました。
この頃右手親指につき指の症状が出ました。
カイロ整体にも通いましたが直らず。
ただし、ここで原因は首が悪いと指摘されました。
整形外科の先生には黙って、前の続きということで首の牽引、低周波治療をしたところ、
痛みは十月に突如なくなりました。
[手術まで七ヶ月]
12月 十二月になっても握力が復帰しないので診察を受けると、
何と筋肉が萎縮していて、握力は17キロまで落ちていました。
鉄アレーで筋肉を鍛えなさいと言う診断には少し呆れました。
長年の首、肩のレントゲン写真も持ち、長年の症状のカルテも持っているのに
まともな診断とは思えませんでした。    
インターネットで症状を検索すると実に恐ろしい病気が山ほど出てきましたので、
大学病院にゆくこととし整形外科でなく、脳神経内科で受診しました。
やはり脳神経内科では進行性筋萎縮の方面から検査を始めました。恐怖。
このまま筋肉が無くなって行ったら死んでしまう。
脳のCTを撮ったが異常なし。腕の神経の筋電図も異常なしでした。
先生は首をかしげていましたが、進行性筋萎縮ではないと言うことで一安心でした。
[手術まで半年]
1.08 いよいよ頚椎のMRI撮影。
1.10 同診察、頚椎ヘルニア、変形性頚椎症と診断され、即刻整形外科に廻されました。
脊髄への圧迫が強く、二箇所以上悪そうなので、後方からの手術を勧められたが、
勿論その場で決心出来るわけも無く、怖いので一ヶ月間保留にして帰宅しました。
一時は大学病院での手術に傾きましたが、インターネットでいろいろ調べてみると、
痛くなさそうなレーザー手術を発見し
西島クリニック(調布市) 見放された腰痛はこう治す
見放された腰痛はこう治す
西島先生の著です

 
に診察の予約をしました。
1.21  西島クリニックにて初診を受けました。
大学病院での診察結果もお話し、レントゲンMRI撮影して見ていただきましたが、
レーザー手術は無理との宣告を受けました。
三ヶ月間様子を見ることにして帰宅しました。
2.07  手術を受けるにしても西島先生の所の方が良さそうなので、
大学病院の手術は断りました。
先生は痛くなったらまた来なさいと少し残念そうな顔をしていました。
年明けから手術までの半年間は日によって右腕がだるかったりぴくぴくしたり、
足もツッパッツたりひくひくしたり
の日々でした。
対応は湿布と牽引と低周波でなんとかこらえました。
体の痛みもありましたが、一番苦しかったのは、
脊髄を圧迫している状態でころんだりすると
即座に麻痺が進行し、回復不可能になる場合がある

と注意されていたことです。
このため何をするにも慎重になり、遊んでいても全然面白くなくなってきました。
手術も怖いし良くなる約束もないが、このまま消極的な生活を一生つづけるのも耐えがたい。
いっそ手術をしてのびのび暮らしたいとの思いが増して来ました。
ただ心の一部には手術はしない方がとの気持ちも残ってはいましたが・・・
[手術まで二ヶ月]
5.07 西島クリニックで再度MRI撮影、診察で手術を勧められました。
どちらの検査でも、5番の頚椎が前後にずれていて、椎間板と骨棘がかなり強く脊髄を圧迫している。
西島先生の「ハイリスク状態。圧迫は横綱級。手術をして除圧すればリスク状態から開放されます。」
とのことばで手術を決断しました。
一度決断してしまうと、早く手術日が来ないかと指折り数えて待ちました。
ここで転んでは元も子もないとゴルフは中止、ヨットもひかえました。
実は去年の発病以来知らなかった時期もありましたが、
毎月ゴルフ、ヨットに通い、ケアンズ、久米島、奄美大島、サイパンへダイビングに行き、
正月はニセコで滑っていました。
ただし体の状態がだんだん解るに連れてだんだん楽しくなくなって来ました。
[手術まで一ヶ月]
6.02 手術のための血液検査とCT撮影をしました。
各種フィルムを見ながら西嶋先生は患者が納得するように
相談しながら決めるような診察をしていただき、
4-5,5-6 の2頚椎間前方固定術と決定しました。
手術後しばらくは重たい物を持てないので
ガレージのシャッターを電動に改装しました。
ついでに車にETCも装着して負担をへらしました。
自宅療養のために大型の安楽椅子も購入し手術に備えました。
自宅の階段に手摺も増設しました。
先生には大丈夫と言われてはいましたが、全身麻酔もするわけですし、万一と言うこともあるので、
一応カミサンには通帳とか保険証書のしまってある場所などを話しました。
[手術まで二日]
7.01 いつもの理髪店で散髪をしました。術後のことを考えるとお勧めします。
7.02 一週間分の下着、本、携帯電話と充電器、洗面用具、退院用着替えなどを持って、
電車で病院へ行きました。パジャマ、タオル、スリッパは支給なので荷物は少なくて済みます。
病室は有料ですが個室で、ちょうどビジネスホテルの部屋に似ています。
ユニットの風呂とトイレ。冷蔵庫に有料テレビ。ドアと通路はベッドが通れる様広くなっています。
空調も自分でセットできるので快適です。
入院手続きのあとは夕食まではすることがないので、
近所のコンビニで術後のおやつや飲み物を買いだめしました。後は読書しました。
夕食後西島先生より詳しい手術の説明がありました。
麻酔の先生から麻酔の説明も受けました。
先生は朝から回診、手術、外来診察、翌日の手術の説明と
いったい何時食事をして何時休んでいるのでしょう。
風呂に入って10時に寝ました。翌日は水分も摂れないので水を飲んでおきました。
前夜は眠れない人もいるようだが、私の場合は熟睡でした。
[手術当日]
7.03 朝の五時半に喫煙所の話し声で目がさめました。
手術が終わって入院している人は暇なようです。
飲み物もふくめて絶食なので、逆に出す方に専念しました。
看護婦さんが手術用のガウンのようなものと、焼肉屋のまえかけの様な紙製の
T字帯なる物を持って来ました。
『付け方教えます』と言われたが、そんな事は聞けませんでした。
八時まえに予定より早くカミサン到着。
9時最後のトイレをしてストレッチャーに乗り点滴開始。
手術室に移動したと思ったら麻酔で気絶・・・
手術中
   ========= 手術 全部で三時間 切って縫うまで二時間七分 ========
手術のビデオテープによると
30分 首にメスを入れて、止血しながら堀進み、頚椎まで金具のトンネルを作る。
10分 骨を削って作業用の棒をネジで立てて、頚椎を固定する。
25分 頚髄ぎりぎりまで骨、椎間板、骨棘を削り、取り除き、最後にチタンのスペーサを打ち込む。
5分 隣の頚椎間に移動する。
10分 前と同じに骨を削って棒を立て固定する。
25分 同じく削ってスペーサを打ち込む。
10分 チタンプレートをドリルで下孔をあけ、ネジ留めする。
10分 金具を外し縫合する。最後にテープで止めておしまい。
合計二時間七分のビデオテープでした。
有料ですが自分の手術の実写テープですから、見ていて力が入ります。
   =========================================================
手術直後 麻酔から起こされる。
手の痺れが無くなっている、足が動くのを確認して安堵した。
喉が痛い、痰がつまって苦しい。
だんだん落着いて来て二時半頃カミサンは自宅に帰りました。
鼻のチューブや腕の電極は、外してくれたが点滴の針はつけたまま。
首にはコルセットも何もないけど良いのかな。
尿意をもよおし尿瓶をもらうが、ベッドの上では出ないものです。
五時頃看護婦さんを呼んで起こしてもらい、歩いてトイレに行きました。
ベッドまで無事送り届けるのが義務と考えている看護婦さんがついて来て、まいりました。
ベッドを20度ぐらいおこしておくと痰が流れて楽に眠れることを発見しました。
苦しくて唸っているのは自分でも解るがいつの間にか寝てしまいました。
[手術翌日]
7.04 五時起床 喉が痛い 唾をのんでも痛い。
朝食のパンは、そのままでは飲み込みにくいので、牛乳に浸して柔らかくして食べました。
検温 血圧測定 先生の巡回 点滴。
喉が痛い 痰がでる 前を向いたままでは自力で起上れない以外は元気でした。
午前中は二階の廊下まで午後は階段を降りて一階まで遠征しました。
夕方にはシャワーも浴びました。
食事が不味い 特に米が不味い これは病気のせいではありません。
[手術後二日目]
7.05 コンビニへ遠征 オムスビ サンドイッチ等を購入して、病院食のごはんは食べないことにしました。
昼は蕎麦屋へ遠征。 冷やしタヌキそばを注文したが、そばは食べにくかった。
神社の手前まで遠征したが、やはり少し歩くとふらつきました。
調子が良いので明日は退院だと思っていたら、夕方からリバウンドの痛み
出はじまりました。
[手術後三日目]
7.06 喉の痛みが治まってきたが右手親指が痺れ 右腕肩が痛くなってきた。
明日の退院は無理な感じです。 リバウンド恐るべし。
三男のK(ゴリリ)が見舞いに来たので神社まで散歩して、マクドナルドでおやつを食べて帰りました。
調布駅前には「げげげの鬼太郎通り」なんかがあります。
またもや、コンビニで買い物しました。
7.07 朝の回診で「明日八日の退院の許可」が下りました。万歳。
痛み止めの点滴、最後のコンビニ買出し以外はおとなしくしていました。
[手術後五日目] 退院日]
7.08 痛み止め点滴。
カミサンが迎えに来て、退院手続き 支払 部屋の片付けして退院しました。 
蕎麦屋で昼食を摂り、タクシーで自宅まで四十分でしたが、
やっぱり乗り物に乗るだけで疲れます。
リバウンドの痛みは何時まで続くか判りませんが、
あとは飲み薬での対応となります。
7.09 自宅ではゴロゴロしてテレビを見る怠惰な生活です。
かといって散歩に行くと腕が猛烈に痛みます。
7.13 スーパーまで術後初めて車を運転して出かけました。
[手術後十一日目] 出勤]
7.14 腕は痛いが家に居るのも暇なので、出社開始しました。
腕が痛くて疲れるので、 午後は早めに帰宅しました。
車の運転中は右腕が特に痛みます。
[二週間経過]
7.18 指の痺れは残っているが、肩の痛みが突如弱くなったので、
痛み止めを飲む回数を 減らしました。
7.20 ターミネーター3 を渋谷に見に行った。
女ターミネーターにやられて首がもげかかったシュワルッネッカーが可哀想だった。
相撲でも映画でも首に負担がかかるシーンを見ると気持ちよくない。
7.22 今週から会社はフルタイム勤務とした。
[三週間経過]
7.27 栃木まで日帰り三百キロドライブしてみたが、大丈夫でした。
7.28 痛み止め飲むのを止めました。
わずかに右手親指が痺れているだけになりました。
あとは骨が固まるのを待つだけです。
[一ヶ月経過]
8.07 退院一ヶ月検診に久し振りに病院へ行きました。
現在の自覚症状は右手親指の痺れ、右腕右足に若干のヒクヒクぐらいになりました。
握力は右30キロ、左45キロまで回復しました。
ただし右上半身の筋肉が落ちていますので、筋肉トレーニングが必要です。
神経そのものの回復には時間を要するので、症状がまったく無くなるのはまだ先になるが、
徐々に良くなるとのことでした。
レントゲン、CTの映像はまったく異常なく、
「2カ月検診は来なくて良い」と言われてしまいました。
次は三ヶ月検診です。
[二ヶ月経過]
9.10頃 一ヶ月検診が良かったので、トレーニングジム通いを復活しました。
職場と自宅それぞれにダイビング用の一キロウェイトを用意して筋トレもやりました。
調子に乗ってやりすぎて、一時筋肉が炎症を起こし、
握力も23Kgまで再低下してしまったこともありましたが、徐々に筋肉も付いてきました。
現在右手が手のひらを下に向けて物を摘まむように持ち上げる力が入りにくい以外は良好です。
これも最初は一キロの重りを摘まむのがやっとだったのが、今は軽く持ち上がりはします。
右手親指の痺れは日によって強弱はありますが、続いています。
これは時間がかかる様ですが、そんなに問題ではありません。
足腰は良好で九月には筑波山に登ってきました。
ただ下りは膝と首がカクカクする様な気がしてロープウェイで降りました。
ゴルフ練習場にも行きました。特に下手にも上手くにも成っていない様でした。
本当は右手の力が抜けて、チタンのおかげでヘッドアップも直り、
手術前より良くなる事を期待していたのですが、そう甘くはありません。
次は三ヶ月検診です。
[三ヶ月経過]
10.08 三ヶ月検診に行きました。
レントゲンでは骨の並びも良くなり、ケージの中も骨が詰まってよい状態です。
MRIでは手術前ウィンナソーセージの様にくびれていた脊髄が完璧に除圧され、
まっすぐになっていました、と言うかどこを手術したのか解らない様に成っていました。
感激。私は先生が指差すまで他の所を見ていました。
右手の握力は 38Kgに復活。左右同じになりました。驚き。
従って先生の診断は「非常に良好。何をやってもよろしい。」とのことで、
今月のゴルフ、十一月のダイビング、正月のスキーすべてオーケーが出ました。万歳。
今一番の問題は何となく首をかばった動作をしてしまう事です。
後ろから呼ばれるとロボットの様に体ごと振り返ります。
また走ったり、飛び降りたりして首に衝撃がかかると怖くなります。
自信を持つまでにはまだ時間がかかりそうです。
次は年明けに六ヶ月検診です。
三ヶ月検診後から半年検診
10.26 手術後114日目。半年ぶりにゴルフ場へ出発。
最初の3ホールまでは力を抜いてスィング出来たので
パー・ボギー・ボギーと良好なスタートでしたが、
あとはいつもの通り要らぬ力が入って、結局50を切れませんでした。
ゴルフは力を抜くほど良いスコアが出るのですが、力は目一杯いれるは、
地面を思い切り叩くはで、進歩がまったくありませんでした。
天候にも恵まれ何の問題も無くラウンド終了しました。
今後は月一回ペースでゴルフの予定が入っています。
11.21 141日目。三泊四日で沖縄久米島へ羽田を早朝に出発。     
着後早速ダイビング開始。一本目は多少慎重に潜りましたが、
これも何の問題も無く、いつもの通り七本のダイビングを楽しみました。     
ダイビング機材タンク、ウエィト合計で40キロぐらいになりますが、支障なし。     
水中では逆に浮力で頭は上に引っ張られることになりますが、
これも特に問題はでませんでした。
ダイビング内容の詳細はこちらのページを見て下さい。
12.29 179日目。仕事完了とともにでスキー場に出発。     
四泊五日で石打丸山・神立高原・土樽・かぐらみつまた・田代各スキー場を制覇。     
ほとんど全部のリフトに乗って来ました。     
禁煙一年の成果と昨シーズンからのカービングスキーの威力は絶大です。     
トレーニングジムで下半身を中心に鍛えたのも良かった様です。     
筋肉痛も息切れもせず滑れます。     
毎年お世話になっている土樽山荘の親父さんは
スノーモービルで北極点まで行った人なのですが、
腰がヘルニアになっているとのことで、西島先生のお話をさせて頂きました。
[六ヶ月経過]
半年経過 ここ三ヶ月を見ると、術後三ヶ月と比べて格段に自信がついてきました。     
スポーツをするのは最初のうち多少とも怖かったのですが、
やるとどうしても120%の力を入れてしまう事になり、結果として自信がついて来ました。
普通の生活だけでは多分80%位の力しか入れず、自信もついていないと思います。
個人差もあると思いますが、四ヶ月目からのスポーツはお勧めです。
第一「出来なかった事」が「出来る様になる」のはとっても楽しい事です。
初めてラウンドしたり、初めて潜れたり、初めて滑れたりしたような楽しみです。
2004
1.08
半年検診。
手術からまだ半年とは夢の様です。
一年前の今日は大学病院でMRIを撮っていた日です。まだ病名もはっきりしていなかった訳です。
現在の症状は
@ 右手親指が少し痺れている。日により多少程度は変化するが
生活にはまったく障害はありません。
A右手の握力不足。十二月にジムで正確に測定したところ、
左45.5キロに対し右27.5キロでした。特に持久力がなく連続して使うと力不足を感じます。
B 喉がゴロゴロする。これは手術とは関係ないのかもしれませんが、
若干のどに違和感があります。
耳鼻咽喉科で診てもらいましたが、とくに問題は無いそうですが、気持ちが悪い訳です。
ひさしぶりに調布の駅で降り、病院まで歩きました。
お蕎麦屋さんもコンビニも病院も看護婦さんも変わっていないのに、
遠い昔に居たところ来たような感じです。
お正月は手術を休んだので入院している患者さんは少ない様です。
MRIとレントゲン撮影の結果ではネジも抜けてきていないし、脊髄の状態も良い様です。
喉のゴロゴロには慣れる様に努力して見ますが、ダメならプレートを外すとのことです。
また切るのも嫌なので頑張ります。握力、痺れはだんだん良くなるとのことです。
次は一年検診です。1年に一度になると思われますので、七月七日の夕方を予約しました。
半年から九ヶ月]
2004年 2.10
術後222日目
5泊6日でパラオダイブクルーズへ出発。
今回はガイドに手術の事は秘密にして、一番ハードな組に入り、潜って来ました。
水平に泳いでいて、前方を見ると首に負担が来ます。
手術した上下の頚椎に負担がかかり再発しても困ります。なるべく身体を起こして泳ぎました。
詳しくは「パラオ遠征記」をご覧下さい。
3.19
術後260日目
家族で2泊3日の富良野スキーツアー←こちらに出発。
去年は慎重に滑っていたので、転びませんでしたが、今年は一度転びました。
調子に乗ってコース脇の深雪に突入したところ、やつぱりコントロールが出来なくなり、
やむを得ずお尻で止っただけです。
「転んでも大丈夫。」とまたもや自信がつきました。

[九ヶ月経過]
4.14 喉がゴロゴロするのは「声帯肉芽腫」ではないかと素人判断しています。   
全身麻酔時の気管挿管や胃液の逆流によりできる喉のタダレの様な物です。   
手術で挿管はしているし、寝ている時胃液の逆流でむせた覚えがあります。   
対策としてベッドの頭側マットの下に発泡スチロールのスペーサを入れて、
頭を少し高くして寝ています。
病院のベッドは電動で頭が上がりとても快適だつたのを思い出した訳です。
胃液も上がってこないし、枕無しでも寝むれて首にも良い感じです。
頭の下の枕をベッドの下に移動したようなものです。
半月たって喉の感じは少し良くなった様な気がします。
このまま治まれば良いのですが。
現在の症状
@ 右手親指のわずかな痺れ。少しずつ良くなっています。
A 右手握力不足。今だに握力は27~8キロです。見た目筋肉も増えていません。
生活には不便はなく、ゴルフには好都合なので、ゆっくり鍛えます。
B 喉のゴロゴロは今のところ多少とも良くなっていますが、スッキリしません。
C 左腕上腕の神経がたまにピクピクする。
D 六月に「西島脊椎クリニック」のホームぺージの「頚椎手術体験記」の全員が集まる予定になりました。
たいへん楽しみにしています。
七月に一年検診です。
[一年経過]
7.3   手術から一年目の今日はゴルフです。     
快晴そよ風、湿度も低く最高のコンディションです。     
昨年の今日今頃は手術着にT字帯で全身麻酔していたなんて嘘みたいです。     
アウトを終わってビールと鉄火丼、インを廻って風呂です。     
なかなか快適な記念日でした。     
夜は家族と沖縄料理の店で乾杯しました。
 7.7     一年検診
  入院フロアで看護婦さんたちと雑談していたら、一階から大きな声で呼ばれてしまいました。
「すみません。」

レントゲンとMRIの撮影をしました。
チタンプレートもネジもしっかり固定されていて問題は無い様です。
上下の椎間板にも悪い影響はまつたく出ていません。
神経への圧迫も無く、頚髄の色も良くなりました。
腕がピクピクしたのは神経が治る過程だそうで、それもここ一ヶ月は治まっています。
右手握力測定は30キロ余でました。
私としては40キロはほしいのですが、成年男子では30キロあれば合格だそうです。
筋肉トレーニングは毎週しています。
右手親指の痺れ、喉のゴロゴロ感は生活に支障ない程度なので
徐々に改善するのを待つことにします。
    先生からは「もう頭をぶつけても大丈夫ですよ。」とのことです。
スカイダイビングやってもジェットコースターに乗っても良いそうです。
ただしあまりの無理はしないようにと言われてしまいました。
バンジージャンプなんかはやらないほうが良いのかな・・・やる訳無いか。
次回は二年検診です。2005年七月七日たなばたの4時を予約しました。
来年の今頃には手術をしたことを意識しなくなっている様になりたいものです。
病院に行くのを忘れちゃったりしたら最高です。

[一年半経過]
2005年
1.03
明けましておめでとうございます。
昨年の十月頃までは時々腕や脇腹の筋肉が勝手にピクピクしていました。
痛いわけではないが、とても気になりました。
今は全然ありません。
一年半の検診はありません。単に区切りと言うだけです。      
現在の症状は
@ 右手親指の痺れはほとんど無くなりました。
   ・・・爪の先に僅かに違和感がある程度
A 右手握力と筋肉はこの半年では特に改善はしていません。
   ・・・重い物は右手より左手で持った方が楽と言う程度
B 喉のゴロゴロ感は多少良くなった気がする。
   ・・・お酒を飲むと何故かスッキリする
と言う訳で生活や遊びにはまったく問題ありません。     
最近は腰の方が心配でゴルフ、スキー、ダイビングの時にはワコールの
スポーツ用コルセットを腰に装着しています。
とても快適な上、安心感があります。
あまり急な変化はないが少しずつ着実に改善している様です。
最近は油断してズルーッと滑ったり、頭をぶつけたりしても恐く無くなってきました。
二年検診時にまたレポートします。
[二年経過]
7.03 二年目の今日は山登りです。
手術前は駅の階段も恐くて手摺沿いに歩いていたのに・・・
山歩きは「山楽会」と言う神奈川県葉山町の里山の手入れに協力している
NPO団体に参加しています。
私は若手ですが山は素人、大多数は定年退職した人達ですが長年の山登り経験者です。
皆は葉山に住んでいて毎日が日曜日ですからかないません。
葉山の山は東西五キロ南北三キロほどの範囲に
最高峰でも200M余の低山と川の入り組んだ地形になっています。
中は殆ど巨大迷路状態になっています。
私はGPSを使って正確な地図を作ることをテーマに歩いています。
今日はチョット危険な単独登山でしたが
調べたい道を順調に歩き回って無事帰還しました。    
7.7 一年ぶりに西島クリニックへ行きました。      
症状は一年半の時と変化ありません。      
MRIと レントゲンを四枚撮ってチェックします。      
全て良好。心配していた上下の椎間板への影響も無く、
むしろ首全体の姿勢が良くなったので下側の6-7間は改善しているそうです。      
右手握力は32k出ましたが、これはジムで正確に測らないと解りません。      
左右の腕の太さはまだ差があります。      
先生は「完治してます。もう来なくて良い」という感じでしたが、
点検のため来年の七夕の四時を予約して帰りました。
[三年経過]
2006年
7.12
術後三年経過
最近の健康状況は・・・
せっかく年に一度の診察なので七夕に予約しておいたのに、
久米島にダイビングをしに行く為に診察日を12日に変更しました。
という事はいたって健康。

「ピロリ菌を持っていなければ胃癌にはならない」と言う説を信じて、
家族みんなでピロリ菌検査をしました。
結果は全員陰性。つまりピロリ菌無し。我家は胃癌の心配無しとなりました。
万歳。

人間ドックで「肺に陰がある」と言う事で大学病院でCT検査。
結果は「なんでもありません」との事でこちらも一安心でした。

さて頚椎症の現在の状態は
・右手親指の痺れはほとんどなくなった。
・喉のゴロゴロ感もほとんどなくなったが、たまに感じるときはある。
・右手握力は相変らず27-28キロ程度で最低時より10キロは回復したが
  今だフルパワーにはならない。
どうも右手の握力の筋肉への神経は切れてしまっていて
回復不能の様な気がします。
握力の回復も回りの筋肉が補助している感じで、
本当に握力を発揮する筋肉はもどっていません。
左右の腕の筋肉を見るとあきらかに右腕のある特定の筋肉がありません。
腕の太さも違います。右利きなのに右腕が細いのです。

以上三年たって思う事は
★筋肉がピクピクしたり、足がツッパッタリ、
痛いとかだるいといった症状は術後すぐに解消する。
★重い痺れの解消にはとても長い時間が掛かる。
★筋肉が落ちたものはなかなか回復しない。
★チタンプレートによる喉の違和感になれるのは相当の時間を要する。

どの時点で手術を決断するかは難しい問題ですが、
あまり悪化してから手術をしても、回復が難しくなる点もあると思います。
現在 生活にはまったく支障はなく
ダイビング、スキー、登山、ヨット、ゴルフのいずれも問題なくできます。
むしろ五十台半ばのオジサンにしては良好の方と思います。
同じ病院で同じ手術をしてもなかなか良くならない方もいる様ですが、
まだまだナゾの部分がある様です。
固定手術をすると、その頚椎の上下の椎間板への影響が心配されます。
何年後かには再手術になると言う噂もあります。

と言う状態で三年検診に向かいました。
いつもの通りMRIとレントゲンの撮影をしてから診察です。
先生によると
☆「圧迫だけでは神経は切れないので握力はいつか回復する。我慢して頑張ること」
☆「固定の仕方が悪いと上下の頚椎に無理がかかるが、
  ちゃんと固定すると頚椎全体のカーブが良くなり、
  悪影響は出ない。私が手術をした患者で再手術になった人はいない。」
と力強いお言葉でした。
でも「ネジは抜けてきていないな・・・」と言われると「エーッ抜ける人いるのか」と思いますし、
「貴方はとても良い状態」などと言われると、
逆に「良くない人もいるのかなー」と思ってしまいます。

さて今年で検診も終わりかと思いましたが、来年も診てもらうことになりました。
今度は手術した7月3日(2007年)を予約しました。
[四年経過]
2007年
7.3
術後四年検診

7月3日、四年前手術を受けたその日に検診に行きました。
アンケートに答えてMRIとレントゲンを撮るために着替えます。
技士の方が「金属は身に付けていないか?」と聞くので「首にチタンが入っている」と答えると「それは良いです」とチョット変な顔をしてました。
さて待つこと一時間で診察です。
病院の患者の椅子に座って、先生に「具合は如何ですか」と聞かれ
「どこも悪くありません」と答えるのも妙なものです。
具合が悪くても初診五年待ちなのに申し訳ありません。
MRIとレントゲンを見て「全く問題なし。何をやっても宜しい。」との診察でしたが、
「既にスキー、ダイビング、ハイキング、ゴルフ、ヨット・・・
と何でもやってしまっている」と申告しました。
後はダイビングの話になってしまいました。
ダイビングが趣味の西島先生は潜る暇もなく「もう水中での呼吸の仕方も忘れた」と患者の私よりはるかに疲れた様子でした。
先生がこれだけ疲れて治療していただいたおかげで、私は遊びまわっているわけですから、感謝です。
この一年の症状ですが、冬から春にかけて、脇腹や二の腕の筋肉が勝手にピクピクすることがありましたが、今は治まっています。
神経は相当長い時間をかけて動いている様です。
右手親指の爪の先がほんの少し痺れ、右手握力は未だ三十キロ弱です。
喉の違和感はほんの少し残っています。風邪をひいたりすると、具合が悪いです。
全体的には一年前とほとんど変化はありません。
なお上下の頚椎への悪影響はまったく出ていません。
前方固定をすると上下が悪くなって必ず再手術になると言う人もいますが、私の場合は今のところその様な事は無いようです。
来年も七月三日の午後を予約して帰りました。
[五年経過]
2008年
7.4

術後五年検診
早いものでもう五年。
今年も7月3日に検診です。
去年と同じレントゲン技師の方に「昨年も同じ日でしたね」と言われながら、レントゲンとMRI撮影。
少し待って西島先生の診察です。
脊髄の具合も良く、上下の骨に悪影響は全くありません。
プレート、ネジともにしっかり固定されていて問題なし。
痺れ、痛みなし。
しかも驚くべきことに、五年目にして握力アップしました。
先月トレーニングジムでも確認したのですが、28キロを超えなかった右手握力が33キロをマーク。
左手は40キロで変わらず、病気前右手は50キロありました。
おそろしく時間は掛かるがだんだん良くなってきました。
検診は二年おきでも良いかなと言うお話でしたが、ハードに遊んでいるので、また来年もと言うことでお願いしました。
来年は七月七日です。
[六年経過]
2009年
7.7

術後六年検診
定期健診に行ってきました。
レントゲンとMRIを撮り、しばらく待って診察です。
傷み、痺れなし。右手握力は元には戻っていませんが、一応30Kgで合格。
上下の椎間板も問題なし。神経の色も良好。

今年は春にパラオ、夏に沖縄・久米島に潜りに行きました。
どちらにも偶然76才のオジサンがダイビングに来ていて、普通に潜り、酒も飲んでいました。
潜っているから元気なのか、元気だから潜っているのか解りませんが、見習いたいものです。
来年は7月14日です。
[七年経過]
2010年
7.14

術後七年検診
駐車場が空いていないと大変なので、少し早めに病院に着きました。
一番奥に一台分だけありましたので、何回も切り返してやっとこ駐車。
待合室は混んでいましたが、早速MRIとレントゲン撮影。
現在の症状は「痛み痺れ無し」右握力が左より弱い程度です。
クリニックのアナログ握力計では30Kgは軽くオーバーしますので、問題なしとのことです。
施術した上下の椎間板も問題なく、先生曰く「ちゃんと頚椎の間隔を取って固定すれば、上下には問題は起こらない。
うちは大丈夫。」とのことでした。
施術直後と七年後のレントゲンを比較しましたが、上下の椎間板には何の影響も出ていませんでした。
来年は7月13日を予約しました。
外に出るとまだ早いので「ゲゲゲのきお鬼太郎通り」まで散歩に行きました。
NHKで「ゲゲゲの女房」を放送中ですので、やや盛り上がっている感じです。
[八年経過]
2011年
7.13

術後八年検診
去年と同じような時間にクリニックに到着すると、やはり一台分だけ空きがあり、無事駐車。
午前の手術が長引いたのか午後の診察が始まってなく、待合室は混雑していました。
レントゲン、MRIを撮ってしばし待つと診察です。
特に症状も無く、レントゲン、MRIにも異常なく「まったく問題なし」でした。
パラオでのハードなダイビングのお話をして「じゃまた来年」となりました。
来年の診察は7月11日午後3:30です。
今年は暑いので、散歩もせずまっすぐ帰宅しました。
[九年経過]
2012年
7.11

術後九年検診
6月に西島クリニックのホームページを見ると「閉院のお知らせ」なるものが載っていました。院長の健康上の理由のため、手術は六月まで、十月で閉院だそうです。
今の自覚症状は左腕の筋肉が時々ピクピクすること、喉の違和感と右手握力不足は変わりありません。
三時半に病院に着くといつもの通り混雑しています。
レントゲンMRIを撮って待っていると、だんだん患者が減ってきて、待合室がガラガラになりました。確かに閉院の雰囲気です。
待合室から見ていると、時々西島先生が廊下を元気そうに歩いています。顔色も悪くありません。
診察での先生開口一番「ダイビングの調子はどうですか」って、調子は良いのですが私の首はどうなんでしょうか。筋肉の回復はまだまだですが「首は全然問題ない」そうです。
先生はお腹の病気らしく、手術で長時間立っているのが困難になったので、閉院だそうです。診察も今年で最後かと思いきや、「まだ未定ですが、この病院を引き継いでくれる人がいる」ようで、再開院して西島先生は診察専門ならできるので、その方向で検討中の様です。「秋ごろメールしますが、また来年七月に会いましょう」と言うことでした。
閉院なら自分の資料を全部もらって持って帰るつもりでしたが、そのままで帰りました。
さて今後どうなるのでしょうか。
[十年経過]
2013年
7.14

術後十年検診
いつもの通り駐車場に車を止めて、待合室で待ちます。
西島クリニックから清水クリニックに代わっても相変わらずの混雑です。
今日は西島先生の診察がある(金曜日だけ)のため特に混雑しているのかもしれません。
予定より一時間以上遅れて診察ですが、レントゲンとMRIを撮ることになりまた待ちます。
撮影結果を見ながら診察です。
「特に問題なし、また来年」
今の症状は
@右手親指の違和感は10年経ってやっと解消した。
A右手握力は25キロ程度で、完全に元通りには戻らない。
B喉の違和感は弱くなってきたのと、慣れたこともありあまり問題にはならなくなりました。
C左肩に痛みがあり、頸椎からかと心配しましたが、診察の結果「五十肩」だそうです。別の病院で治療します。
五十一歳でまだまだ十年は遊びたいと思って手術に踏み切りましたが、十年経った今、まだまだ二十年は遊びたい気持ちです。
  チタンプレートには当分頑張ってもらう予定です。
[十一年経過]
2014年
7.25

術後十一年検診
今年も検診に行ってきました。金曜日は西島先生の診察日なので激混みです。
予約時間に行ってもレントゲン・MRIを撮るまで2時間待ち。さらに待って診察です。
上下の椎間板 チタンプレート ねじ共に異常なしです。
右手握力は相変わらず25-26キロしか出ませんが、そんなに不自由はありません。
またパラオのダイビングのお話をして診察完了。
来年の診察の予約をして帰りました。
清水クリニックの状況を聞いたところ「初診でも一週間くらい」で予約が取れるそうです。
お困りの方はどうぞ。
[十二年経過]
2015年
5.22


術後十二年検診
去年何か勘違いしたらしく、いつも七月に検診していたのに今年の予約は五月。
着いてみると駐車場も空きあり。診察券を出すと、あまり待たずにMRIとレントゲン撮影。
去年に比べるとすいている待合室でいくらも待たずに先生の診察開始。
MRIでは上下の椎間板の状態は良好で心配なしとの診断なのですが、レントゲンを良く見るとネジが少し抜けている様な気がして、術後すぐ、五年後、十年後と見てみると前から少し抜けている感じ。レントゲンの撮る角度にも依るような気もしますが・・・
先生はこれも大丈夫と言いますが、私的にはやや気になります。来年はここを重点にチェックのつもりです。
来年は六月に予約を入れて帰りました。
最後までお付き合いありがとうこざいました。
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